おはなすべりだい

愛を叫べ 備忘録

全然関係ない話

【課題2】今回の「Go To トラベルキャンペーン」を含めたコロナの政府対応について、あなたの「思うところ」を、思う存分ぶちまけて下さい。政府による「別の思惑」を暴く、想像上のストーリーを考えて頂くなどしても構いません。表現は自由です。

 

 

今回書かせていただくレポートは、非常に偏った意見であり、あくまで“想像”を大いに含んだ内容であることをご理解いただければと思う。

 

さて、この度のコロナ禍であるが、そもそも私はこの新型コロナウイルスの脅威を信じていない。本当は存在自体も否定したいところだが、それを裏付ける根拠がないためこのように書いた。しかしながら私たちが必死で買い集め、馬鹿みたいに価格の高騰を起こしていたマスクをする必要もないと思っているし(もちろん“ポーズ”として着用しているし、マスクを着けていない人を見るとあまりいい気持ちはしない)、実質コロナによる症状など、風邪のようなものだろうと思っている。

 

そんな私も、当然だが最初は信じていた。私自身某J社のコンサートに行くことが大好きで、三月にもいくはずだったものがあった。それが延期延期となり、嫌でもこのコロナウイルスの影響力を感じずにはいられなかったからである。

一刻も早くこの事態を脱し、コンサートにいける日常を取り戻したかった私は、自粛要請を忠実に守った。それどころかそれよりも前、コロナウイルスの脅威が報道され始めてからすぐに手ピカジェルの携帯を初めとする意識の向上に励んだ。「こんな事態なのに外で遊ぶなんて」と、Instagramのストーリーを更新する友人を蔑んでいた。

 

私が“新型コロナウイルス”に対する違和感を覚え始めたのはいつだったか、正直全く覚えていない。そして何が原因だったかも覚えていない。そのため、箇条書きで、私が抱いた違和感を挙げていく。

 

・政府が国民のためと称してした対応が、アベノマスクのみ。(しかもなぜか一家庭に2枚)

→これに関しては違和感というよりはアベ政権の無能さが露呈したな、程度にしか思っていなかった。要らない上に届くのも遅いときた。これは次の選挙は少なくとも安倍さんはないだろうなあ。しかし、アベノマスクの語感は非常に気に入っている。

 

・不良品のアベノマスク

→詳しくは覚えていないが、Twitterでアベノマスクがかびていた、などの報告があったかと思う。一見すると“使えない安倍”という感じだが、これはアベ政権を良く思っていない内部の者によるいたずらだと感じた。

 

・黒川検事長の定年延長騒動

→最初にこの話を聞いたとき、今回のコロナ騒ぎは黒川氏の定年延長を裏で進めるためのものだったのか、と思った(海外ではあまりコロナウイルスに対してマスクなどの対策をとっていないと知っていたため)。安倍総理の息のかかった黒川検事長を置くことで、ほとんど無法地帯にするつもりだと。しかし今となってはまたさらに裏があって、またさらに別の思惑があったのではないかと疑っている。

 

志村けんの死

→死後も感染の可能性があるからと、家族すら火葬後にしか会えないというのはいかがなものかと思った。そもそも無症状コロナも一定数居るだろうと言われるような状況で、(おそらく)家族に選択の余地もなく最期を看取れないというのは訳が分からなかった。だいたい、医療従事者はコロナ患者と接しているのだ。万全な対策をしても感染のリスクがあって会えないというのなら、それは防護服などが意味をなしていないということであり、彼らから苦情が殺到する。そして、私は志村けんはまだ生きていてもおかしくないと思っている。火葬後に初めて会うことが許されるというのも、生きていることを悟られないためなのかもしれない。志村けんという国民的に認知されている人物の死によって、新型コロナウイルスに対する恐怖を国民に植え付けるためのイベントだったのではないかと思う。

 

・現在更新され続ける感染者数の最多記録

→これに疑問を抱いている人は多いと感じる。母数やパーセンテージではなくあくまで感染者数を報じるところは、違和感満載である。しかしそこではなく、「緊急事態宣言は終わったけど、感染者数は増えてるよー」と、政府が国民の意識をコロナから逸らさせないための苦し紛れの策なのではないかと思う。

 

・Go To トラベルキャンペーン

→これについてあまり詳しくは知らないのだが、仮に新型コロナウイルスというかなり危険なウイルスが蔓延しているとして、これは実施すべきでないというのは明らかである。そして、東京外しもまったくもって無意味である。東京からの訪問者は特に制限しないことと矛盾するからだ。さらに、埼玉や神奈川など東京近郊から東京に出ている人は少なくない。そのため都民でないからと言って危険がないというわけではないことがわかる。これ以上の財政の悪化(コロナウイルスの恐怖を植え付けてしまったことによる弊害)を防ぐために強行したのだろうと考えられる。

 

他にも、コンサートの発表がされたりと財政向上に対する意思が多くみられる。そして政府も、規模の制限の変更はないという。どれも本当は“恐怖のウイルス”などないからできることなのではないかと思う。

 

 

以上の通り、私はこのウイルスを信じていないが、恐れているものがある。それは、今後人口ウイルスが撒かれることと、ワクチンにより国民にICチップのようなものが埋め込まれることである(PCR検査の段階ですでに埋め込まれているという説もあるが)。

この度のコロナウイルスに対するワクチンと称し、(義務としてワクチン接種をさせて)ICチップを埋め込むことで国民を完全に管理する未来が訪れることを恐れている。そして安心しきったところでまた別のウイルスを撒く、というシナリオである。どういった意図でそれが行われるのかまではわからない(想像がつかない)が、上の人間とはそういうものだと思っている。

今回の騒動はかなりいい迷惑であるが、すべてのものを疑ってかかるという癖が身についたのはありがたい。